神のみぞ知る 2017.12.14 青山修

どれだけ歯を食いしばって生きていても、誰しも『神頼み』したいと思う時があります。しかしながら、そうした時というのは、大抵はもうこれ以上打つ手がなく、精も根も尽き果て、他に頼るものがない崖っぷち、つまりもう諦めるしかないのかもしれません。

私が長年お世話になっている歯科医院では、麻酔用の注射器から『星に願いを(When You Wish Upon A Star)』のメロディが流れてきます。きっと腰抜けの私を少しでも落ち着かせようとする先生と製造メーカーの計らいなのでしょうが、あれが鳴ると、思わず「神頼みか!」と突っ込みたくなります。

今年のノーベル平和賞を核兵器禁止条約の採択に尽力したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が受賞しました。

核兵器禁止条約とは、核兵器の使用や保有などを法的に禁ずる国際条約です。今年の7月に120カ国以上の賛成で採択されましたが、米国やロシアなどの核保有国、米国の『核の傘』に守られているとされるカナダ、ドイツ、オーストラリアなど、そして日本が参加しなかった事は記憶に新しい事と思います。

あらためて『核の傘』について考えてみましょう。言うまでもなく、私は軍事や防衛の専門家ではありませんので、あくまで素朴にです。ニュースなどでもよく耳にするこの『核の傘』ですが、広辞苑によれば『自国の安全を核保有国の核抑止力に依存して確保しようとすること』とあります。

それにしても、そもそも『核抑止力』など本当に存在するのでしょうか?対立構造がシンプルだった冷戦時代の遺物、または幻想なのではないでしょうか?果たしてこの激動の2017年にも本当に存在するのでしょうか?

理屈としては分からなくもありません。例えば、こんな感じでしょうか。
A国:敵対するB国に核兵器を打ち込んでやるぞ!、、、、いや待てよ、相手も打ってきたら、お互いに破滅するかもしれないな、、、やっぱり使うのをやめよう!

または、
C国:日本に核爆弾を落としてやる!、、、、いや待てよ、、、日本を攻撃したら、米国から核兵器で攻撃されるかもしれないな、、、、、やっぱり日本を攻撃するのはやめよう!

この例え話の出来は置いておくとしても、こうしたベタなコントのような話が本当に成り立つものでしょうか?百歩譲って、たとえ成り立つとしても、それはあくまで核のボタンを押す側に、それなりの理性が働く事が大前提です。いや待てよ、と。

世界に目を向けてみますと、至る所で自らの死を厭わない自爆テロが頻発しています。宗教的紛争など複雑な問題を抱える国々では核戦争を恐れない人達も少なくないようです。こうした状況下でも、この『いや待てよ』が登場する余地があるものでしょうか?

さらには、ハッカーやテロリストに乗っ取られることはないのでしょうか?『核のボタン』が彼らの手に渡るような事があったら、一体どうなってしまうのでしょうか?

今やポスト・トゥルースの時代です。理屈など全く通用しない人だらけです。とはいえ、こうした屁理屈を積み上げてみますと、未だに『核抑止力』とやらを信じている人達こそが、本当に理屈が通用しないのかもしれません。

ノーベル賞受賞式の翌日に開かれた「ノーベル平和賞コンサート」では、昭和20年8月に広島で被爆するも、その後修復された『被爆ピアノ』が演奏されたそうです。そして、その選曲には大いに感銘を受けました。

曲は、米国のロックバンド、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが作曲した『神のみぞ知る(God Only Knows)』です。何とも切なく、これ以上ない程に美しいこの曲は1966年に発表されました。タイトルに『God』という言葉を使った史上初のロックソングでもありました。そんな革命的な曲なのです。

元々は哀しい失恋を題材にしたものだと思いますが、作詞家トニー・アッシャーが書いた美しい歌詞にこんな一説があります。

God only knows what I’d be without you
君なしで僕がどうなってしまうのか 神様にしか分からない

しかしながら、この日の『被爆ピアノ』が奏でる調べは、聴衆の心にこのように響いたのではないでしょうか。

核兵器保有国の大英断なしに
唯一の被爆国である日本が立ち上がる事なしに
世界中の人々がこの問題に真剣に向かい合う事なしに
世界がどうなってしまうのか 神様にしか分からない

核を取り巻く問題において、日本は特別な国です。我が国は世界で唯一の戦争被爆国です。しかも2度もです。その上、世界最大規模の原発事故を経験した当事国でもあります。いずれも、この国に計り知れない被害をもたらし、その影響は今も現在進行形で続いているのです。

こうした唯一無二の日本だからできる事、そして果たすべき役割が必ずあるはずです。我々一人一人が知恵を絞り、意見を出し合い、議論し、その道を探らなければいけません。その第一歩として、この世界に『核の傘』など存在しないのだと、はっきり認識する必要があると思います。それがこの時代に生まれた我々の果たすべき責任ではないでしょうか。

ICANのベアトリス・フィン事務局長は、受賞演説でこう述べました。

核兵器の物語には、終わりがあります。
どのような終わりを迎えるかは、私たち次第です。
選択肢は二つ。核兵器の終わりか、私たちの終わりか。

我々は、もはや神頼みしている場合ではないところまで来ているのかもしれません。

それにしても、あっという間に師走です。誰が決めたのか知りませんが、今年の漢字は『北』だそうです。そもそも一年をたった一文字で表すという企画自体に、大いに無理があると思いますが、敢えて一文字を挙げるとするなら、『傘』など如何でしょうか。2017年は、『核の傘に別れを告げる記念の年』です。屁理屈も、どうやら綺麗にまとまりそうです。

先日、海老一染之助さんが亡くなりました。兄の染太郎さんは既に亡くなっており、長い間、日本中から愛された傘も本当になくなりました。最近は、トイレで相合い傘の落書きを見掛ける事もなくなりました。もうこの国には、雨の時に使う以外の傘はないのでしょう。

それでも、まだ『核の傘』があると思い込んでいる、思い込みたいだけ、そして思い込ませたい、そんなおめでたピーポーには、最大限の敬意と胸いっぱいの愛をこめて、この言葉を贈ります。

おめでとうございま〜す!

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