007でなくても二度死ぬ?  2020.8.10 青山修

この数か月で世界は大きく変わってしまいました。大袈裟に悲観するつもりはありませんが、少なくとも全てが元通りになる事はないのでしょう。愛する人達と共に新しい世界を生きていく所存です。

いささか唐突ではありますが、誰にでも必ず訪れる『死』について考えてみたいと思います。

こんな話を聞いた事がありませんか?
人は誰でも「二度死ぬ」と。
一度目は、肉体的な死を迎えた時。
二度目は、愛し愛された人の記憶から消え去った時。
誰しも一度は考えた事があるテーマではないでしょうか。

私などは、自分が旅立った後も、自称武勇伝の数々を、妻にはしっかり覚えていて欲しいと思います。
着陸直前の国際線の機内で気分が悪くなりトイレに籠るも、客室乗務員総出で出てこいコールをされ大騒ぎになったこと。
イタリア旅行中に昼からビールばかり飲んて調子に乗りすぎた挙句、痛風の発作が出て、その後数日を台無しにして妻にコテンパンにやられたこと。
2人で顔を見合わせて笑った抱腹絶倒エピソードの数々は、私がこの世界の片隅に確かに生きていた証として、妻には憶えていて欲しいと考えたりします。

とはいえ、この世を去った後までそんな風に求める事自体が本当の愛とは言えないのかもしれません。本当に妻を愛しているなら、こう言いましょう。私の事など綺麗さっぱり忘れて、新しい人生を生きてくれと。柄にもなく強がってみたものの、煙の如く消えてなくなってしまうのは怖いですし、やはり寂しい気がします。

映画や小説などでこうしたテーマを扱った作品も少なくありません。ここ最近で秀逸だと感じたのは、映画『A Ghost Story』です。これは素晴らしい作品でした。是非ご覧頂きたいと思います。

因みに、映画『007は二度死ぬ』の原題は『You Only Live Twice』です。どちらもカッコいいタイトルですね。

私は行政書士として、遺言、相続、成年後見などいわゆる終活業務のご依頼を頂く事から、医療や葬祭の関係者ほどではないにせよ、少なからずお客様の死に接します。

遺言書の相談に来られ、そのまま何年か経ち、訃報をお聞きした方。
数か月前に病院から公証役場までご一緒して間もなく亡くなられた方。
私の手を握り「後は頼みます」との言葉を遺して旅立った方。
亡くなる数日前の病床で「人生を全うした気がします」と語った方。

大切な人を失った方の話を聞く事はありますが、大切な人を残して旅立った人の話は聞いたことがありません。

誰しも考えた事があるかと思います。
自分が亡くなった後のこと。
自分は愛する人の記憶にどのように残っていくのか。
そしてあるとするなら、二度目の死は何時どのように訪れるのか。

たとえば歴史に偉業を遺した人物や素晴らしい作品を遺した芸術家には二度目の死は訪れるのでしょうか。
ピカソやモーツアルトには?
スティーブ・マックイーンやジョン・レノンには?
世界中のファンに愛される続ける彼らが本当の意味で死ぬ事はないのでしょうか。
彼らは『俺の作品はずっと愛され続け、忘れられることはないから、たとえ死んでも寂しくないぞ』なんて考えていたのでしょうか。

そもそも死んだらどうなるのでしょうか?
一体何処へ行くのでしょうか?
その瞬間に何か感じることはあるのでしょうか?
すべて消えてなくなってしまうのでしょうか?
子供の頃、こんな事を一人で考えていてとても怖くなった記憶があります。しかし誰かに尋ねることはしませんでした。

私が書くようなブログで答えが出るテーマでもありませんので、このくらいにして、最後に、最愛の伴侶を亡くしたある方の言葉を記します。このブログを書くきっかけになった言葉でもあります。

もう何カ月にもなるんですが、ずっと妻のことを考えています。
先立たれるなんて本当に思いもしませんでした。
でもそうでなかったら、ここまで妻のこと、ふたりのこと、
真剣に考えることはなかったかもしれません。
もしも私が先に逝っていたら、
妻と出会えてどれだけ幸せだったか考える事も、
これほど妻に感謝する事もなかったように思います。
さびしいけれど、よかったのかなって。
でも、やはり、妻にそれを伝えたかった。
ちゃんと彼女の眼を見てちゃんと伝えたかった。
私がどれだけ幸せだったか。

本当に美しい話です。

答えが出ない事を考える事は、
人間にしかできない神業かもしれません。

今日は亡き母の誕生日です。
何というか、とても可愛らしい人でした。

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神のみぞ知る 2017.12.14 青山修

どれだけ歯を食いしばって生きていても、誰しも『神頼み』したいと思う時があります。しかしながら、そうした時というのは、大抵はもうこれ以上打つ手がなく、精も根も尽き果て、他に頼るものがない崖っぷち、つまりもう諦めるしかないのかもしれません。

私が長年お世話になっている歯科医院では、麻酔用の注射器から『星に願いを(When You Wish Upon A Star)』のメロディが流れてきます。きっと腰抜けの私を少しでも落ち着かせようとする先生と製造メーカーの計らいなのでしょうが、あれが鳴ると、思わず「神頼みか!」と突っ込みたくなります。

今年のノーベル平和賞を核兵器禁止条約の採択に尽力したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が受賞しました。

核兵器禁止条約とは、核兵器の使用や保有などを法的に禁ずる国際条約です。今年の7月に120カ国以上の賛成で採択されましたが、米国やロシアなどの核保有国、米国の『核の傘』に守られているとされるカナダ、ドイツ、オーストラリアなど、そして日本が参加しなかった事は記憶に新しい事と思います。

あらためて『核の傘』について考えてみましょう。言うまでもなく、私は軍事や防衛の専門家ではありませんので、あくまで素朴にです。ニュースなどでもよく耳にするこの『核の傘』ですが、広辞苑によれば『自国の安全を核保有国の核抑止力に依存して確保しようとすること』とあります。

それにしても、そもそも『核抑止力』など本当に存在するのでしょうか?対立構造がシンプルだった冷戦時代の遺物、または幻想なのではないでしょうか?果たしてこの激動の2017年にも本当に存在するのでしょうか?

理屈としては分からなくもありません。例えば、こんな感じでしょうか。
A国:敵対するB国に核兵器を打ち込んでやるぞ!、、、、いや待てよ、相手も打ってきたら、お互いに破滅するかもしれないな、、、やっぱり使うのをやめよう!

または、
C国:日本に核爆弾を落としてやる!、、、、いや待てよ、、、日本を攻撃したら、米国から核兵器で攻撃されるかもしれないな、、、、、やっぱり日本を攻撃するのはやめよう!

この例え話の出来は置いておくとしても、こうしたベタなコントのような話が本当に成り立つものでしょうか?百歩譲って、たとえ成り立つとしても、それはあくまで核のボタンを押す側に、それなりの理性が働く事が大前提です。いや待てよ、と。

世界に目を向けてみますと、至る所で自らの死を厭わない自爆テロが頻発しています。宗教的紛争など複雑な問題を抱える国々では核戦争を恐れない人達も少なくないようです。こうした状況下でも、この『いや待てよ』が登場する余地があるものでしょうか?

さらには、ハッカーやテロリストに乗っ取られることはないのでしょうか?『核のボタン』が彼らの手に渡るような事があったら、一体どうなってしまうのでしょうか?

今やポスト・トゥルースの時代です。理屈など全く通用しない人だらけです。とはいえ、こうした屁理屈を積み上げてみますと、未だに『核抑止力』とやらを信じている人達こそが、本当に理屈が通用しないのかもしれません。

ノーベル賞受賞式の翌日に開かれた「ノーベル平和賞コンサート」では、昭和20年8月に広島で被爆するも、その後修復された『被爆ピアノ』が演奏されたそうです。そして、その選曲には大いに感銘を受けました。

曲は、米国のロックバンド、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが作曲した『神のみぞ知る(God Only Knows)』です。何とも切なく、これ以上ない程に美しいこの曲は1966年に発表されました。タイトルに『God』という言葉を使った史上初のロックソングでもありました。そんな革命的な曲なのです。

元々は哀しい失恋を題材にしたものだと思いますが、作詞家トニー・アッシャーが書いた美しい歌詞にこんな一説があります。

God only knows what I’d be without you
君なしで僕がどうなってしまうのか 神様にしか分からない

しかしながら、この日の『被爆ピアノ』が奏でる調べは、聴衆の心にこのように響いたのではないでしょうか。

核兵器保有国の大英断なしに
唯一の被爆国である日本が立ち上がる事なしに
世界中の人々がこの問題に真剣に向かい合う事なしに
世界がどうなってしまうのか 神様にしか分からない

核を取り巻く問題において、日本は特別な国です。我が国は世界で唯一の戦争被爆国です。しかも2度もです。その上、世界最大規模の原発事故を経験した当事国でもあります。いずれも、この国に計り知れない被害をもたらし、その影響は今も現在進行形で続いているのです。

こうした唯一無二の日本だからできる事、そして果たすべき役割が必ずあるはずです。我々一人一人が知恵を絞り、意見を出し合い、議論し、その道を探らなければいけません。その第一歩として、この世界に『核の傘』など存在しないのだと、はっきり認識する必要があると思います。それがこの時代に生まれた我々の果たすべき責任ではないでしょうか。

ICANのベアトリス・フィン事務局長は、受賞演説でこう述べました。

核兵器の物語には、終わりがあります。
どのような終わりを迎えるかは、私たち次第です。
選択肢は二つ。核兵器の終わりか、私たちの終わりか。

我々は、もはや神頼みしている場合ではないところまで来ているのかもしれません。

それにしても、あっという間に師走です。誰が決めたのか知りませんが、今年の漢字は『北』だそうです。そもそも一年をたった一文字で表すという企画自体に、大いに無理があると思いますが、敢えて一文字を挙げるとするなら、『傘』など如何でしょうか。2017年は、『核の傘に別れを告げる記念の年』です。屁理屈も、どうやら綺麗にまとまりそうです。

先日、海老一染之助さんが亡くなりました。兄の染太郎さんは既に亡くなっており、長い間、日本中から愛された傘も本当になくなりました。最近は、トイレで相合い傘の落書きを見掛ける事もなくなりました。もうこの国には、雨の時に使う以外の傘はないのでしょう。

それでも、まだ『核の傘』があると思い込んでいる、思い込みたいだけ、そして思い込ませたい、そんなおめでたピーポーには、最大限の敬意と胸いっぱいの愛をこめて、この言葉を贈ります。

おめでとうございま〜す!

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天皇の終活 2016.8.12 青山修

 先日、天皇陛下がお言葉を出されました。皆さんはどのような感想をお持ちでしょうか。

 「個人として考えて来たこと」との前置きはあるにせよ、かなり突っ込んだ内容だと思いました。事前に『内閣の助言と承認』という名を借りた検閲があったのか定かではありませんが、陛下のお人柄や確固たる決意を十分に読み取る事ができるものだと思います。

 天皇という立場上、我々が想像できない数々の制約もあることでしょう。そうした中で、自ら考え、行動される姿勢には大変感銘を受けました。考える人は少なからずいますが、それを実現すべく行動に移せる人はごく僅かだと思います。

 伝統を継承しつつも、新しい時代の中で国民と共に生き、自らの職務を全身全霊で全うする。そして、妻と家族を心から愛し、永続的な繁栄と幸せを願う。お言葉では、こうした強い思いが分かりやすい表現で語られました。

 陛下のこうした姿勢は、『事業の繁栄と従業員の幸せを願う事業主』、または『愛する家族の繁栄と幸せを願う世帯主』の姿と重ねる事ができます。流行りの言葉で言い換えるならば、これは『天皇の終活』なのかもしれません。

 私は行政書士という仕事柄、数多くの遺言書作成や事業承継の場面に立ち会ってきました。我が身はさておき、残される家族や従業員の為に、熟慮を重ね、行動される方々には常に敬意を抱いてきました。今回の陛下のお言葉にも同じような感情を抱きました。

 現行憲法下、天皇には数々の制約があります。例えば、職業選択の自由はありません。象徴としては仕方ない面もあるでしょうが、一人の人間としては、そう簡単に割り切れる話でもありません。天皇は3年毎に勤め先を変える事などできません。気持ちが疲れたからと言ってしばらく休む事も、人間関係に嫌気がさして自分探しの旅に出る事も許されません。

 現在の天皇は大変お忙しいようです。皇居を訪れる人々との面会は年間270回以上、そして年間1000件を超える法律の公布等の公務、加えて、被災地や諸外国へ足を運ぶ事もしばしばです。ご自身で公務を増やして来られた面はあるにせよ、大変な仕事量です。

 ですから政府の皆さんには、陛下のご負担を増やす事だけは避けて頂きたいと思います。政治的に利用する事などは論外ですが、解散権を乱用したり、変わり映えのしない内閣改造を行ったり、すぐ辞任しそうな人を大臣にする事も控えて頂きたい。その度に、陛下が認証式に引っ張り出されるのですから。

 また、国民の声には真摯に耳を傾けて頂きたいと思います。勝手な解釈や、新しい判断ではなく、あらゆる局面において国民の理解が十分に得られるよう尽力頂きたい。もしも「国民は何も分かっていない。俺達に任せておけ。」というような考えが僅かでもあるようならば、全くの見当違いだと思います。

 とはいえ、一方的にお願いばかりするのはフェアーではありませんので、そろそろ纏めに入ります。

 陛下はお言葉を次のように結ばれ、国民一人一人に向けて問い掛けをされました。

「国民の理解を得られることを、切に願っています。」

 陛下とは異なり、我々国民には、憲法において個人の自由が保障されています。街角や居酒屋で大いに議論する事も、自分の考えをインターネット上に書き込む事も、官邸前でデモをする権利も認められています。しかも、ビデオ収録ではなく、完全ライブで行う事が可能です。

 おそらく大変な制約等があるにも関わらず、陛下は、国民一人一人に向けてメッセージを発せられました。次は、我々一人一人が自ら考え、議論し、行動する番です。賽は投げられたのです。

【ご参考】

◆宮内庁HP『象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば』http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12#41

◆日本国憲法(第1条~第8条)
第1条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第2条  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。
第3条  天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第4条  天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2  天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
第5条  皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
第6条  天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2  天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第7条  天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
1  憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2  国会を召集すること。
3  衆議院を解散すること。
4  国会議員の総選挙の施行を公示すること。
5  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
6  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
7  栄典を授与すること。
8  批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
9  外国の大使及び公使を接受すること。
10  儀式を行ふこと。
第8条  皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

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Sometimes it snows in april 2016.4.28 あおやまおさむ

 今からずっと昔の6月、大きな国の小さな街に王子様が生まれました。王子様のお家は、決して豊かではありませんでした。それに、お父さんとお母さんは、あまり仲がよくなかったので、王子様は時々つらい思いをしました。

 王子様は音楽が大好きでした。黒い人が歌う音楽も、白い人が演奏する音楽も、女の人が歌う音楽も、男の人が演奏する音楽も、みんな大好きでした。音楽を聴いている時には、嫌な事を忘れることができたのです。

 王子様のお家には古いピアノがありました。王子様は、来る日も来る日もピアノの練習をしました。次はギターとドラムです。そして、沢山の楽器を誰よりも上手に弾けるようになりました。それは王子様が誰よりも練習したからでした。

 そのうち、王子様は自分でも音楽を作るようになりました。 ある時、王子様は街で演奏会を開きました。街のみんなは、すぐに王子様の音楽が大好きになりました。王子様は、みんなが喜んでくれる事が、何より嬉しかったのです。

 王子様の演奏会に来る人は、しだいに増えていきました。王子様は、街のみんなだけでなく、もっと沢山の、そして海の向こうの人達にも喜んでもらえるような、素晴らしい音楽を作りたいと思いました。

 王子様は、こんな風に考えていました。もしもみんなが大好きになれる音楽を作れたら、それを聴いたみんなが仲良くできるかもしれないと。だから、白い人も黒い人も色んな人も、男の人も女の人もそうでない人も、みんなが大好きになれる音楽を作ろうと、心に決めたのです。

 王子様は本当に沢山の音楽を作りました。もう自分でも数え切れないほどです。とても一人では歌いきれないので、仲間にあげたりもしました。だいたいは、生きていくこと、仲良くすること、そして誰かを好きになることを歌にしました。

 王子様は、どんな事でも、いとも簡単に歌にしてしまいます。例えば、朝ごはんについてもです。友達のルーシーやメイプルシロップの事だって歌う事ができたのです。時には、つらい事や悲しい事も歌にしました。王子様はいつも本当の気持ちを歌にしたかったのです。

 ある時、王子様は恋に落ちました。とても美しい人を、心の底から好きになったのです。その人のためなら死んでもいい、と思うほどでした。王子様は、多くを望んではいませんでした。一緒に楽しい時間を過ごし、そっと口づけしてくれるだけでよかったのです。でも、その恋はうまくいきませんでした。

 一度、本当に悲しい事がありました。王子様の赤ちゃんが亡くなったのです。生まれたばかりの可愛い男の子でした。王子様はとても悲しみました。でも、決して立ち止まる事なく、音楽を作り続けました。王子様にとっては音楽が全てだったのです。それが生きていくという事だったからです。

 その後も、王子様は休むことなく、みんなを楽しませました。王子様の音楽が聴きたいという人がいれば、どんなに遠くへでも飛んで行きました。その合間にも、新しい音楽を作り続けていました。まるで1日で世界一周してしまうほどの忙しさです。そして長い年月が流れました。

 王子様も時の流れには逆らえません。みんなの前では元気に見えましたが、やはり疲れる事もありました。それに本当は痛いところもあったのです。それでも王子様は休みませんでした。みんなが喜んでくれる事が、何より嬉しかったからです。

 でも、とても体の具合が悪くなり、王子様は少しだけ休む事にしました。また元気になれば、みんなを楽しませる事ができると思ったからです。そして、お家に帰る事にしました。王子様はお家が大好きだったのです。お家に帰れば、きっと元気になれると信じていたのです。

 4月のある朝、王子様はお家で動けなくなりました。そして、静かに目を閉じました。その時お家には、他には誰もいませんでした。王子様は、死んでしまうには若すぎました。それにやりたい事も、まだたくさんあったのです。でも、雪がとけて川になるのと同じで、これは神様が決めた事でした。

 あまりに突然だったので、みんなは驚きました。なかには色々と知りたがる人もいました。でも、街のおまわりさんは「王子様はみんなの大切な仲間だから、そっとしてあげよう」と言いました。みんなも賛成しました。そのおまわりさんは王子様と同い年で、王子様の音楽が大好きだったのです。

 街のみんなは、王子様の事が大好きでした。街のみんなだけではありません。ずっと遠くの人達も、みんな王子様が大好きでした。みんなは泣きました。王子様は、決して独りぼっちではなかったのです。これからもずっと、街のみんなと一緒です。

 王子様は、本当によく頑張りました。みんなが眠っている間も、ずっと音楽を作り続けました。みんなが仲良くできるように、そして皆が幸せになれるように願いながら。王子様は、誰よりも頑張りました。ちょっと頑張りすぎたのかもしれません。

rainbow 王子様は、静かに旅立ちました。でも心配はいりません。王子様は、本当に沢山の音楽を作っていて、まだ誰にも聞かせていない音楽を、お家に大切にしまっているのです。それも山ほどです。これからも王子様のパレードは続いていきます。そして世界中のみんなを楽しませることでしょう。

 王子様が天国に昇って行った日、青い空には、とても美しい虹が掛かっていました。

 

【あとがき】

 先日、米国の音楽家プリンス(Prince Rogers Nelson)が亡くなりました。あまりに突然の事で本当に驚きました。長年、彼の音楽を愛聴してきましたが、毎年のように届けられる彼のどの音楽作品よりも衝撃的なニュースでした。本当に言葉もありません。

 その後、インターネットに流される追悼記事などを眺めていました。なかには本当に心を打たれるものもありました。

 スティービー・ワンダーは、ニュース番組でインタビューに答えました。画面からも、彼が動揺している事は明らかで、まるで抜け殻のようでした。記者に振られても、「I’d breakdown if I did a song」と、涙を堪えるのが精一杯でした。

 ディアンジェロは、美しい名曲『Sometimes it snows in april』をカバーしました。曲の終盤、歌詞の一部を変えて「I often dream of Heaven and I know that Prince is there」と歌ったところで、声を詰まらせて歌えなくなりました。本当に胸が熱くなる瞬間でした。

 インターネット上には、プリンスが亡くなる直前の写真が掲載されています。それは彼が自転車に乗っている後ろ姿を捉えたものです。写真の中のプリンスは、偉大なる革命的ロックミュージシャンというよりも、あたかも母親にお遣いを頼まれた少年のようです。「ねえ、プリンス、スーパーで牛乳買ってきて!」と。

12976536_1016404018451396_2049329587_n しばらくこの写真を眺めていると、なぜだか子供に読み聞かせる絵本のように、彼について綴ってみようと思いました。そこで彼の名曲達を聴きながら、一通り仕上げてみると、自然と「こういう人だったのかな」と思える感じになりました。当のプリンス殿下は、最近、回顧録の執筆を始めたばかりだったと聞きましたが、果たして気に入ってくれるでしょうか。

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社会のセーフティネット~生活保護~ 2016.3.24 青山修

 サーカスの空中ブランコを観て、「お金取るのに、安全ネットがあるのかよ!」と言う人はいないと思います。「ネットがあるなんて本物じゃない」という方は、もしかすると本物のピーターパンの世界に生きているのかもしれません。まさか、サーカスの花形スターが落下して、怪我をしたり、亡くなったりする場面を子供に見せたいという親御さんはいないでしょう。

 むしろ、安全ネットや命綱があるからこそ、空中で観客を魅了する程の思い切った演技ができるのではないでしょうか。逆に、落下を怖れるあまり、少しも冒険しないような腰の引けた演技なら、それこそわざわざお金を出して観に行く人はいないでしょう。

 安全ネットがあることで、時にはわざと落ちて戯けた演技もできますし、万が一、本当に落下したとしても、これ以上ない苦笑いを浮かべながらも、またやり直す事ができるのです。これが、ヴァーチャルではない、我々が生きるリアルな現実です。

 これは我々が暮らす社会でも同じではないでしょうか。絶対に失敗できない社会では息が詰まります。想像してみてください、誰もが失敗を怖れ、冒険もチャレンジもしない社会を。想像してみてください、多くの若者が大企業ばかりを目指し、やりたい仕事よりも安定性を求める社会を。そんな国には誰も住みたくないでしょうし、とにかく明るい未来があるとは思えません。

 我々一人一人がそれぞれの道で、最大限の力を発揮して、頑張って生きていく為には、最後の砦となる、セーフティネットが必要なのです。少々長い前振りでした。

 セーフティネットといえば、ニュースなどでもよく取り上げられるのが、生活保護です。皆さんは、生活保護についてどんな印象をお持ちでしょうか。厚生労働省のHPによれば、『資産や能力等すべてを活用してもなお生活に困窮する方に対し、困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障し、その自立を助長する制度』とあります。

 生活保護については、ここのところ、どうも誤った理解が広がっているように感じます。ニュースやワイドショーでは、『有名人の母親が受給していた』『生活保護でパチンコやっていいのか!?』などと花盛りです。たしかにキャッチーですし、いかにもワイドショーが喜びそうなネタではありますが、それらはひとまず置いておくとして、その数字面から、生活保護の現状に迫ってみましょう。

 我が国の5000万世帯のうち、生活保護を受給しているのは161万世帯です。そのうち半数近くは高齢者世帯であり、そのほとんどが独り暮らしです。これに、傷病者や障害者の世帯、母子世帯が続いています。さらに外国人の受給率など少なすぎて見えない程です。この数字だけを見ても、生活保護問題の本質は、パチンコ云々ではない事がよく分かります。

 また、我が国において、収入や資産から判断して生活保護を受ける事ができる人で、実際に生活保護を受けている世帯(捕捉率)は、15~18%と言われています。この数字を諸外国と比べてみますと、ドイツ64%、英国90%、フランス91%となっています。一方、我が国は20%にも満たないわけですから、いかに日本人が歯を食いしばって生きているかが分かります。さすが『おしんの国』は違います。

 言うまでもなく、生活保護は税金で運営されている制度です。その制度があまり活用されていないのです。これが、税金が投入されたハコモノだったら、どうでしょう。例えば、税金で大きなスタジアムを建設したものの、あまり使われていないとしたら。それこそワイドショーは、『我々の血税で!』と大騒ぎではないでしょうか?そういえば、新国立競技場の東京オリンピック後は本当に大丈夫でしょうか。

 こうした中、生活保護制度に対するバッシングがあります。たしかに、年金受給額は減らされ、低賃金の非正規労働者も増えており、『仕事もしないで生活保護を貰うなんて』等の批判も、感情的には解らなくもありません。しかし、その矛先を向けるべき相手は、むしろ国や政治家ではないでしょうか。生活保護費以下の収入で暮らす子育て世帯も増えていますし、そもそも最低賃金が低すぎるのでしょう。こうした状況の打開策として、「生活保護貰いにくいじゃねえか、日本死ね」とブログに書くお母さんが出てくるかもしれません。

 また、最近よく槍玉に挙げられるのが生活保護の不正受給です。勿論、不正受給はいけない事ですし、許されるべきではありません。しかし、不正受給率は全体の0.4%と言われいます。0.4%と言えば、1000人に4人です。この数字、多いですか?あなたのお勤め先にいる給料泥棒みたいな正社員は、1000人に4人だけでしょうか?もっと多く存在しそうですが、根拠もありませんし、良くない例えでした。

 繰り返しになりますが、生活保護を受ける事ができるにも関わらず、80%以上もの方が利用していないのです。不正受給については、少ない受給者のうちの僅か0.4%です。これが我が国の生活保護の現状です。逆にそれだけ利用されていないという事は、制度自体に何らかの問題があるのでしょう。利用すべき人にはしっかり利用して貰えるよう、皆で知恵を絞り、より柔軟で利用しやすい制度にしていく必要がありそうです。

 そのためにも、まずは生活保護に対する理解を深め、偏見を拭い去りましょう。心のセーフティネットにお金は掛からないのですから(決め台詞)。皆さんの周りに生活に困っている方を見掛けたら、最寄りの役所に相談に行くようお勧めしてみてください。生活保護を受けるのは、何も恥ずかしい事ではありません。こうした心の問題も、我が国で生活保護制度がなかなか浸透しない一因かもしれません。生活保護に対する偏見を捨てて、頑張る人を応援できる社会を作りたいですね。

 たしか大昔の後楽園球場だったと思いますが、家族でサーカスを観に行った記憶があります。子供時代を振り返ってみますと、本当によく色々な所に連れて行って貰いました。割と幸せな子供時代だったと思いますし、両親には心から感謝しています。

 そう言えば、最近は「サーカスに入れるぞ!」という叱り方も聞かなくなりました。ほんの一時期ですが「ヨットスクールに入れるぞ!」というのも効き目があったように思います。とはいえ、今の子供達は何となく賢そうですから、そんな脅し文句は到底通用しないのでしょう。もしかすると、サーカスは、そういう意味で社会のセーフティネットだったのかもしれません。お後がよろしいようで。

【ご参考】パンフレット「あなたも使える生活保護」

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★ I Can’t Give Everything Away 2016.1.21 青山修

先日、英国のアーティスト、デヴィッド・ボウイ(David Bowie) が亡くなりました。彼は本当に素晴らしいアーティストでした。とても多才な人でしたが、主にロックミュージシャンとして、多大なる功績を遺しました。世界中のファンだけでなく、同業者からも崇め立てられる程の存在でした。半世紀近くの長きにわたって、美しい楽曲を生み出し、数多くの素晴らしい音楽作品を発表し、世界中でコンサートを開きました。2004年の武道館公演には、私も妻と足を運びました。痛恨の二階席でしたが。

彼の偉大なる足跡については、ロックジャーナリズムの専門家が大いに綴ってくれるものと思いますので、私も楽しみに待つこととします。言うまでもなく、かのボウイの偉大な功績を総括できる文才など、私は到底持ち合わせていませんので。

ただ一つ、一人でも多くの人に、彼の最新作にして最後の作品『★(ブラックスター)』を聴いて頂きたいと思います。本当に素晴らしい作品ですし、これまでの名作群と同様、これぞデヴィッド・ボウイと言える作品だからです。是非とも何度でも聴いて、自由に自分なりのボウイ像を創造して頂きたい。それが彼の望みであり、新たな伝説の始まりとなる事でしょう。

個人的な好みで言えば、特にアルバムの最後を飾る曲『 I can’t give everything away 』は本当に素晴らしいと思います。大好きな曲です。もう何度も何度も聴いています。最期のお別れの曲とは到底思えないですし、むしろ新しい夜明けを感じさせるような曲です。 美しく韻を踏んだ、いかにもボウイらしい歌詞も本当に素晴らしい。この曲には、彼の全てが集約されているように感じます。

I know something’s very wrong
The pulse returns the prodigal sons
The blackout hearts the flowered news
With skull designs upon my shoes

I can’t give everything
I can’t give everything …away

Seeing more and feeling less
Saying no but meaning yes
This is all I ever meant
That’s the message that I sent

本当に美しい曲ですが、何度も繰り返し聴いていると、不思議と大昔にボウイ自身が描いたもう一つの物語が思い出されます。私だけでしょうか。それは彼が1969年に発表した名曲『Space Oddity』です。宇宙船の故障により宇宙空間を彷徨う事になるパイロットの話です。『something』が『wrong』となり、『nothing I can do』となってしまう男の物語でした。全く別の曲なのに、こんな風に聞こえてしまうとは、私の妄想癖にも困ったものです。少し疲れているのかもしれません。

どうやら私の宇宙船は修復不可能のようだ
エンジンの出力が全く上がらない
制御不能になれば派手な見出しを飾る事になる
全ては宇宙の塵となってしまうのだ

できる事はもう何もない
本当の気持ちを伝える事はできない、、、決して

静寂の中、碧い地球がぼんやりと見える
言葉で伝えられなくても、妻は分かっているはず
何もこれが初めてというわけじゃない
これは以前にも話した事のある物語なんだ

こんな風に(私のような)愚かなファンがつまらない妄想により騒ぎ出す事から、ロックスターの馬鹿げた伝説が幾つも生まれていくのかもしれません。たとえ当の本人達が意図していないとしても。

ボウイ自身は生前「騒ぎを起こさず、静かに逝きたい」との言葉を残し、死後まもなく火葬されたと聞きます。これが事実ならば、世間が大騒ぎし始めた頃には、彼は天国の門前にさえ立ち止まる事なく、とっくに旅立っていた事になります。誰も彼を捕まえる事などできない。それでも世界中のファンは彼を追い続けることでしょう。彼の伝説はこれからパイロット不在のまま、果てしない旅を続けていく事になるのです。

不毛な戯言はこれくらいにして、やはり今夜も彼のレコードを聴くとしましょう。1971年に発表されたアルバム『Hunky Dory』など如何でしょうか。美しさと、静寂と、荒々しさと、全てを兼ね備えた作品です。ボウイは当時24歳。後ろの方から「Kooksが聴きたい!」と妻の声がしますが、ボウイのレコードはありがたく最初から全部聴くものです。それに『Hunky Dory』です。何もかもがこの上なく素晴らしいのですから。

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遺言書のススメ  2016.1.6 青山修

 昨年を振り返ってみますと、『遺言書を作成したい』というお客様が多い一年でした。相続税のハードルが下がった影響もあるでしょう。また、新聞やテレビ等においても遺言書が取り上げられる事が増えているように感じますし、実際、遺言書を作成される方は増加傾向にあります(日本公証人連合会HPhttp://www.koshonin.gr.jp/osi.html#20)。少しずつではありますが、ようやく我が国においても、遺言書が市民権を得つつあるのかもしれません。

 映画『市民ケーン』では、冒頭、新聞王 Charles Foster Kane が『薔薇の蕾』という謎の言葉を遺し、亡くなるところから物語が始まります。映画としては最高傑作に挙げる方も多い作品ですが、遺言としては残念ながら最低でした。そもそも口頭だけでは困りますし、しかも『薔薇の蕾』って。とはいえ謎の言葉だからこそ物語が展開していくわけですが。

 最近話題になる事が増えたとはいえ、一般的な感情としては『遺言書なんて本当に必要なの?』というのが正直なところではないでしょうか。こればっかりは『必要(だと思います)』としか答えようがありません。とはいえ無理に薦める類のものでもありませんので、遺言書とは一体どういうものなのか、基本的な所から始めてみましょう。

◆遺言書にはどんな事が書けるの?
 遺言書に書く事は、何もお金や財産の事だけではありません。ざっと列挙してみます。
・特定の相続人に財産を相続させたい
・相続人ではない人に財産を贈りたい
・団体や法人に寄附をしたい
・葬儀、埋葬方法に関する希望がある
・お墓の管理をお願いしたい
・献体、臓器提供をしたい
・事業を承継させたい
・認知症の配偶者の世話をして欲しい
・病弱な子供の世話をお願いしたい
・婚外子を認知したい
・未成年の子供に後見人を指定したい
・ペットの面倒を見て欲しい
・生前お世話になった人に恩返しがしたい
・面倒な手続きをまるごとお願いしたい

◆遺言書が必要な人とは?
 答えは『全ての人(だと思います)』です。貴方も、私も、向こう三軒両隣、それ以外の人も全てです。懲りずに例を挙げてみましょう。
・相続人が多い人
・相続人がいない人
・子供を持たない夫婦
・複数の子供を持つ夫婦
・遺言書を書くほど財産がないと思っている方
・財産がありすぎて困っている方
・うちの家族は仲がいいから安心だと思っている方
・うちの家族は仲が悪いから心配だと思っている方
・ご高齢の方
・まだまだ若い者には負けないと思っている方
・天涯孤独の方
・法事の席でどうもよく知らない親戚っぽい人を見掛ける方
・離婚、再婚を経験した方
・独身で身寄りがない方
・独身で親族が多い方
・内縁関係にある方
・何となく隠し子がいるような気がする方
・確実に隠し子がいる方
・養子縁組をした方
・音信不通や行方不明の相続人がいる方
・自慢のレコードやCDを妻にすぐ処分されそうな私など
 例を挙げれば本当にキリがありません。つまるところ遺言書を作成する必要がない方などいないという事になります。決して営業トークではありません。

◆遺言書は本当に必要なの?
 遺言書というと、揉める、揉めない、あげたい、あげたくないといった感情面に目が行きがちですが、相続開始後の面倒な手続き面から見ても、遺言書は大いに必要だと言えます。公正証書遺言で遺言執行者(遺言書の内容を実現する為に手続きをする人)を定めておけば、諸々の手続きがスムーズです。財産を受け取る人以外の承諾をもらったり、手を煩わせる事なく手続きが可能です。

 例えば、子供を持たない夫婦を例に考えてみましょう。もしもあなたが最愛の配偶者に先立たれた場合、あなた以外の相続人(配偶者の両親、兄弟、甥姪)の方に対して、様々な書類に「実印を押してください」や「印鑑証明を取ってください」などとお願いしなければならない事を考えてみてください。こうした手続き面だけをとっても、遺言書の必要性をご理解頂けるかと思います。

 徒然なるままに綴ってきましたが、概要は以上です。年の初めに考える事かどうかは別として、一度ゆっくり考えてみてください。もしも貴方が遺言書を作成しなかった場合、どうなるのか?考えてみてください。

 今現在だけでなく、家族構成が刻々と変化していく将来において、誰が相続人になる(可能性がある)のか?そして誰が面倒な手続きを片付けてくれるのか?考えてみてください。考えてもよく解らないという方は、当事務所にご相談ください。これは営業トークかもしれません。

 それでも遺言書の必要性を感じられないという方は、映画『市民ケーン』を観て、人生の意味なるものに思いを馳せてみては如何でしょうか?とはいえ、正直なところ、よく解らない映画でもあるんですが。つづく

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With A Little おせっかい 2014.12.11 青山修

 師走です。自分勝手な理由から何百億円もの税金を使って選挙を始める人もいます。皆さんお忙しいでしょうから、結論から書きます。

 今この国に足りないものといえば、『愛』と『勇気』、そしてほんの少しの『おせっかい』ではないでしょうか?もちろん根拠はありません。

 『おせっかい』という言葉は、大抵の場合ネガティブな使い方をされます。『気が利く』とは程遠く、『世話好き』にも大きく水をあけられています。もしもあなたが意中の人から「おせっかい(だ)よね」と言われたら、新しい恋を探した方がよいかもしれません。

 思い返してみますと、以前はおせっかいな人、結構いましたよね。頼んでもいないのに、よその家族の話に首を突っ込むような人、今この瞬間に隣家の誰が在宅しているか把握しているような人。こういった類いの人は、今の時代では盗聴犯もしくはストーカーに置き換わっているのかもしれません。

 一方最近では度々プライバシーが問題になる反面、こうした『おせっかいズム』が脈々と継承されていれば、助かったであろう命も少なくないように感じます。孤独死や過労死、自ら命を絶つケースはもとより、私達の身近でも同じ事が言えるのではないでしょうか。

 この国は、踏切事故で亡くなった認知症患者の遺族が鉄道会社から訴えられる国です。盲導犬が傷つけられる国です。マタニティマーク論争が起こる国です。都会の真ん中で孤独死した方が何ヶ月も発見されない国です。残念ながら、少なくとも美しい国には程遠いようです。

 私は仕事で高齢者や成年被後見人の方のお手伝いをしていますが、以前こんな事がありました。ある夏の暑い日、認知症の方が一人で外出してしまい、夕方になってようやく見つかりました。

 その方が発見された場所は、何と人通りの多い道端だったのです。何時間も灼熱の日差しに照らされた事で、額の皮がペロッと剥ける程でした。そんな状態で道端のブロック塀に寄りかかっている所を幸運にも警察に保護されたわけです。

 たしかに外見では普通に見えますし、不審に思う通行人も少なかったのかもしれません。しかし少しでも話せばすぐに気づくと思います。認知症の場合、自分の名前や住所さえ答えられない事が少なくないからです。親切な方が一言でも話し掛けてくれていたなら、あれほど日焼けする事はなかったと思います。

 皆さんも、街中で、道端で、踏切で、一人ぼっちの高齢者を見かける事があったら、どうか一声掛けてみてください。                                
「大丈夫ですか?」
「よろしければ、お手伝いしましょうか?」
「どちらに行かれるのですか?」
「お近くにお住まいですか?」
ほんの一言でいいんです。

「大臣、ご存知だと思いますが、かわうち原発ではありませんので」
「議員、お祭りで団扇を配るのはマズくないですか?」
そんな一言で今回の選挙が避けられたかは分かりませんが、ほんの一言でいいんです。

 あなたのほんの少しのおせっかいが、誰かの命を救うかもしれません。誰かのほんの少しのおせっかいが、あなたやあなたの大切な人の命を救ってくれるかもしれません。ほんの少しのおせっかいで、空は飛べないにしても、この国の未来は少しずつ変わっていくのだと思います。 

最後になりましたが、皆さん、必ず選挙に行きましょう。

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子供を守る社会へ 2013.12.7 青山修

    今週、いわゆる婚外子の法定相続分を婚内子の2分の1としている規定を削除する改正案が参議院本会議において全会一致で可決されました。※削除される該当箇所については、文末の参考条文の赤字部分を参照ください。

 婚外子とは、法律上の婚姻関係にない男女の間に生まれた子の事で、発音しにくい言葉では非嫡出子(ひちゃくしゅつし)と言います。誤解されている方も少なくないようですが、婚外子とは少なくとも認知はされている子です。認知されていない子には相続権自体ありませんので、今回の改正と直接の関係はありません。

 私は行政書士という仕事柄、相続に関するご相談を受けます。ご依頼を頂いて、いざ古い戸籍を調べてみたら、認知された子が見つかったというケースは少なくありません。ですから、特に相続問題の渦中にある方々に様々な思いがある事は十分承知しているつもりです。しかし法律としては、ようやく本来あるべき姿になったと思いますし、これまで長きにわたり法律上差別的な取扱いがされてきた事に合理的な理由はないと考えています。

 出生における親の事情に関して、子供には何の責任もありません。自らどうする事もできない事情によって、法律上差別される事など許されるべきではありません(でした)。

 また法律では、婚外子であるか婚内子であるかを問わず、子には親を扶養する義務が課されています。婚外子にも親の扶養義務はあるにも拘わらず、法定相続分は婚内子の半分とされてきたのです。この点だけをみても、明らかに不平等なルールであったことが分かりますね。※扶養義務に関する民法第877条については文末を参照ください。

 しかしながら、今回の改正は中途半端なものと言わざるを得ません。今回の改正では、出生届を出す際に『婚外子か否か』の記載を義務づけた規定を削除する戸籍法の改正が見送られてしまったからです。法定相続分に関する取扱いは平等となったものの、出生届を出す際に、『婚外子という烙印を押す』差別的取扱いは依然として残ったままなのです。

 法務省のHPに出生届の記載例が掲載されていますので、皆さんも是非ご覧になってお考え頂きたいと思います。※『子の氏名』欄の右横に『父母との続き柄』という欄があります。http://www.moj.go.jp/content/000011715.pdf 

 このように大人達が決めた残念なルールを別にしても、子供達は多かれ少なかれ様々な不平等に対峙して生きていかねばなりません。そして否応なしに厳しい競争に晒されます。もちろん自分の志や努力で克服できる事は、精一杯自らの力を尽くすべきでしょうが、生まれ落ちたと同時に、わざわざ国が『婚外子』という不合理な烙印を押す必要がどこにあるというのでしょうか?

 子供達を取り巻く環境は大きく変化しているようです。昭和40年代生まれの私のように、来る日も来る日も日が暮れるまで外で遊び、帰宅時間が遅くなった言い訳を考える事くらいが悩みだったような時代とは状況は異なります。

 今の子供達は、最早犯罪の域に達しているいじめ、複雑化する人間関係、将来への不安、氾濫する情報等の影響もあり、従前の時代と比べても遥かに制御不能な環境下に置かれているように感じます。明るい未来を担う子供達の為に、大人である私達が精一杯知恵を絞り、議論を尽くして子供達を守る社会を作っていきたいですね。

【参考条文】

(法定相続分)
民法第900条 同順位の相続人が数人あるときは、その相続分は、次の各号の定めるところによる。
1 子及び配偶者が相続人であるときは、子の相続分及び配偶者の相続分は、各2分の1とする。
2 配偶者及び直系尊属が相続人であるときは、配偶者の相続分は、3分の2とし、直系尊属の相続分は、3分の1とする。
3 配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは、配偶者の相続分は、4分の3とし、兄弟姉妹の相続分は、4分の1とする。
4 子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする。ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の2分の1とし、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の2分の1とする。

(扶養義務者)
民法第877条 直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。

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謹賀新年 2013.1.4 青山修・理恵

 新年明けましておめでとうございます。

 行政書士青山事務所は、引き続き夫婦二人で力を合わせ、『身近な街の法律家』として皆様のお手伝いをして参ります

 行政書士青山事務所は、その場しのぎでなく、後々までご納得頂ける『真のサービス』を目指して参ります。

 行政書士青山事務所は、お客様の生活やビジネスのシーンにおける『法務コンシェルジュ』を目指して参ります。

 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

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