先日、英国のアーティスト、デヴィッド・ボウイ(David Bowie) が亡くなりました。彼は本当に素晴らしいアーティストでした。とても多才な人でしたが、主にロックミュージシャンとして、多大なる功績を遺しました。世界中のファンだけでなく、同業者からも崇め立てられる程の存在でした。半世紀近くの長きにわたって、美しい楽曲を生み出し、数多くの素晴らしい音楽作品を発表し、世界中でコンサートを開きました。2004年の武道館公演には、私も妻と足を運びました。痛恨の二階席でしたが。
彼の偉大なる足跡については、ロックジャーナリズムの専門家が大いに綴ってくれるでしょうから、私も楽しみに待つこととします。言うまでもなく、かのボウイの偉大な功績を総括できる文才など、私は到底持ち合わせていませんので。
ただ一つ、彼の最新作にして最後の作品『★(ブラックスター)』を一人でも多くの人に聴いて頂きたいと思います。本当に素晴らしい作品ですし、これまでの名作群と同様、これぞボウイと言える作品だからです。是非とも何度でも聴いて、自由に自分なりのボウイ像を創造して頂きたい。それが彼の望みであり、新たな伝説の始まりとなる事でしょう。
個人的な好みで言えば、特にアルバムの最後を飾る曲『 I can’t give everything away 』は本当に素晴らしいと思います。大好きな曲です。もう何度も何度も聴いています。最期のお別れの曲とは到底思えないですし、むしろ新しい夜明けを感じさせるような曲です。 美しく韻を踏んだ、いかにもボウイらしい歌詞も本当に素晴らしい。この曲には、彼の全てが集約されているように感じます。
I know something’s very wrong
The pulse returns the prodigal sons
The blackout hearts the flowered news
With skull designs upon my shoes
I can’t give everything
I can’t give everything …away
Seeing more and feeling less
Saying no but meaning yes
This is all I ever meant
That’s the message that I sent
本当に美しい曲ですが、何度も繰り返し聴いていると、不思議と大昔にボウイ自身が描いたもう一つの物語が思い出されます。私だけでしょうか。それは彼が1969年に発表した名曲『Space Oddity』です。宇宙船の故障により宇宙空間を彷徨う事になるパイロットの話です。『something』が『wrong』となり、『nothing I can do』となってしまう男の物語でした。全く別の曲なのに、こんな風に聞こえてしまうとは、私の妄想癖にも困ったものです。少し疲れているのかもしれません。
どうやら私の宇宙船は修復不可能のようだ
エンジンの出力が全く上がらない
制御不能になれば派手な見出しを飾る事になる
全ては宇宙の塵となってしまうのだ
できる事はもう何もない
本当の気持ちを伝える事はできない、、、決して
静寂の中、碧い地球がぼんやりと見える
言葉で伝えられなくても、妻は分かっているはず
何もこれが初めてというわけじゃない
これは以前にも話した事のある物語なんだ
こんな風に(私のような)愚かなファンがつまらない妄想により騒ぎ出す事から、ロックスターの馬鹿げた伝説が幾つも生まれていくのかもしれません。たとえ当の本人達が意図していないとしても。
ボウイ自身は生前「騒ぎを起こさず、静かに逝きたい」との言葉を残し、死後まもなく火葬されたと聞きます。これが事実ならば、世間が大騒ぎし始めた頃には、彼は天国の門前にさえ立ち止まる事なく、とっくに旅立っていた事になります。誰も彼を捕まえる事などできない。それでも世界中のファンは彼を追い続けることでしょう。彼の伝説はこれからパイロット不在のまま、果てしない旅を続けていく事になるのです。
不毛な戯言はこれくらいにして、やはり今夜も彼のレコードを聴くとしましょう。1971年に発表されたアルバム『Hunky Dory』など如何でしょうか。美しさと、静寂と、荒々しさと、全てを兼ね備えた作品です。ボウイは当時24歳。後ろの方から「Kooksが聴きたい!」と妻の声がしますが、ボウイのレコードはありがたく最初から全部聴くものです。それに『Hunky Dory』です。何もかもがこの上なく素晴らしいのですから。