この度の東日本大震災により尊い命を失われた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、愛するご家族を亡くされた方々に心からお悔やみ申し上げるとともに、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。そして、被災地において命を顧みず救援・復旧にあたられている方々に敬意を表します。
3月11日以来、幾度となくこのブログで何か書こうと考え、思いを巡らせてきました。しかしながら、なかなか筆が進みませんでした。現在進行形のあまりにも壮絶な現実を目の当たりにすると、何を書いても安っぽく薄っぺらに感じられたからです。
これまでテレビやインターネットを通じて、数々の人々を目撃しました。泣き崩れる人、茫然とする人、心配する人、探す人、列に並ぶ人、買い込む人、遠くへ行く人、被災地へ向かう人、便乗する人、声を上げる人、立ち上がる人、身を潜める人、涙する人、涙も枯れ果てた人。
津波や被災地の映像は繰り返し流され、被災地から離れた我々の心の奥底にも鮮烈に焼き付いています。溢れる情報や迷走する政府に惑わされ、日々の生活を営む中でも以前とは異なる数々の判断を迫られます。そこには、我々一人一人の「心の声」とは別のところで「見えない力」が作用するというのもまた現実のようです。
東京都の目黒区美術館にて、4月9日(土)より開催が予定されていた展示会『原爆を視る1945-1970』が中止となりました。「大震災の惨状や原発事故による深刻な影響を受けている多くの方々の心情等に配慮した」というのが中止の理由だそうです。
(目黒区美術館:http://mmat.jp/exhibition/archives/ex110409-2)
正直なところ、私は驚きました。美術館に対して、開催に反対の意見が寄せられたわけでもないようです。この中止の判断にどのような事情があったのかは分かりません。主催者側にも苦渋の決断があったのかもしれません。そうであるにせよ、やはり「?」が拭いきれないのも事実でしょう。
この展示会は、広島と長崎の原爆資料館や被爆者団体等の協力のもと、原爆投下とその影響を、美術家、写真家、漫画家などのアーティストがどのように表現し、またどのように受け止められてきたのかを検証しようという、とても意義のあるもの(になるはず)であったので、非常に残念に思います。
こういう時期だからこそ、過去の歴史、今そこにある危機と現実にしっかり向き合いつつ、我々が進むべき道について真剣に考える必要があるのだと思います。もう現実から目を背けたり、事実に蓋をしている場合ではないでしょう。我々に残された時間はさほど多くはないのかもしれません。