3月11日から5カ月が過ぎました。今なお8万7000もの方々が避難生活を強いられています。仮設住宅への入居、がれきの処理、放射性物質の除去にしても、もう少し何とかならないものでしょうか。「先進国」「技術大国」「経済大国」等の輝かしい称号も大して役には立たないようです。
窮地に立たされた時にこそ本当の力量が問われると言います。私などは、台所で「これ炒めて!」「塩コショウして!」「別の鍋にお湯沸かして!」「フライパンは中火!」などと妻から畳み掛けられると、大体3つ目くらいからパニックです。
そんな中、巷では相も変わらず奇妙なニュースが溢れています。いつ辞めるのか、次は誰だ、やれ子供手当だ、児童手当だ、所得制限だ、などなど。挙げればキリがありません。被災地は完全に置き去りです。これで暴動が起こらない国もそんなに多くはないように思います。「おしんの国」は「紳士の国」よりも我慢強い人で溢れています。
被災地には一瞬にして人生の宝物を失った方々が大勢おられます。愛する家族、終の棲家になるはずだった自宅、一生を捧げてきた仕事、かけがえのない故郷を奪われ、涙も枯れ果てたという方々が大勢おられます。にもかかわらず、カメラの前で涙する政治家を観ました。
よほど仕事が辛いのか、上司とうまくいっていないのか知りませんが、本当に残念な気持ちになりました。仕事も家もあるだけ幸せだと思います。さらに、あれがパフォーマンスだったというのなら、尚更残念です。すぐにでも新しい秘書を雇うべきでしょう。
政治家という仕事とは、国民の命や生活を大きく左右する重大な決断を迫られる仕事です。どの新薬の認可を行うのか、どの病気治療の研究開発に資金援助を行うのか、時には救える命と救えない命の線引きをしなければならない、そういう仕事だと思います。
原子力発電に関する問題でも同様です。発電所の再稼働を進めれば周辺住民の命を危険に曝すかもしれない事は今回の事故で明らかになりました。しかしながら一方で、脱原発の方向に舵を切るならば、原発に携わる人々の生活や仕事に大きな影響を及ぼす事になります。そもそも政治家とはそういう仕事です。
特に原発を取り巻く状況は、全てが待ったなしです。最早、唯一の被爆国であるだけでなく、世界最大の海洋汚染の加害国となってしまった我が国の動向には世界中が注目しています。政治家に泣いてる時間などないはずです。
いま彼がすべき事は、涙の言い訳を考える事でも、代表選出馬の検討でもないはずです。もちろん自分の手の平に「忍」と書くなど論外です。どうしても書きたいというのなら、「被災地」もしくは「命」と書いてはいかがでしょうか。それでも効果がない時は、「泣くな」と書くしかありません。
26年前の今日、「御巣鷹の尾根」で亡くなった坂本九さんは、『この世は悲しいことだらけ、君(涙)なしではとても生きて行けそうもない』と唄いました。災難というものは、何処にいても誰の身にも起こりうるものです。どんなに暑い日でも、どんなに辛い日でも、今日一日を精一杯。