コップの水  2011.10.27 青山修

 今回は「成年後見(せいねんこうけん)」についてお話します。成年後見制度とは、認知症、知的障害、精神障害などによって物事を判断する能力が十分でない方を法律的に支援する制度です。家庭裁判所によって選任された後見人等がご本人の財産を管理したり、悪徳商法から守ったり等、ご本人の意思決定をサポートします。実際に後見人になるのは親族が多い(約7割)ようですが、近年は法律の専門家が選任されるケースも増えています。

 成年後見制度を利用する事により、ご本人は色々な面で保護されることにはなりますが、その反面「選挙権が奪われる」「会社の取締役になれない」等の不利益を被る面もあります。普通に考えて「お金を管理する能力」と「選挙で投票する能力」とは全く別次元のものかと思いますが、公職選挙法によって選挙権は否定されているのが現実です。これについては「憲法に反する」との訴訟が後を絶たないようです

 我が国では2000年にスタートした成年後見制度ですが、成年後見先進国のドイツと比べますと様々な面において発展途上と言えます。
(成年後見制度の利用件数)
・ドイツ:約250万人(人口8200万人)
・日 本:約    21万人(人口1億2000万人)
 このように人口と比べた利用件数を見るだけでも、この制度が浸透しているとは言えません。全国で要介護認定者は約500万人といいますから、実際は成年後見制度を利用したほうが良いと考えられる方々の多くがこの制度を利用していないというのが現状です。それに最近では、肝心の制度の中身よりもトラブルばかりが話題となっているようです。http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111104/crm11110421110014-n1.htm

 また制度理念の実現も十分ではありません。基本理念として『自己決定の尊重』『残存能力の活用』『ノーマライゼーション』が挙げられます。この理念に基づくならば「判断能力が低下したのだから、あとは何でも後見人が代わりに行います」とはならないはずです。たとえ判断能力が衰えたとしても、周囲の環境を整え、残存能力の活用を支援することにより、可能な限り健常者と同じ社会生活を営めるように支援すべきです。ご本人の「権利を奪う」のではなく、あくまで「意思決定をサポートする」のがこの制度の理念なのです。

 判断能力が低下した方々の諸問題は、従来親族内の問題でした。中には「身内の恥だ」というような思いもあったのかもしれません。しかし、核家族化、少子化、高齢者の独り暮らし世帯の増加等の社会構造の変化、また、孤独死、高齢者を狙った詐欺等の深刻な問題も山積しており、今や社会全体の問題となりつつあります。最早、ご本人とご親族だけで対応できる範囲を超えており、地域、行政、司法、民間など社会全体でサポートする仕組みが不可欠と言えるでしょう。

 人間は誰しも年を重ねます。人生の最終章において、身体や心が不自由な状態で、また病床において長期間を過ごしたいと願う人はいないでしょう。「ぴんぴんころりといきたい」「家族に面倒は掛けたくない」とは誰もが思う事なのです。とはいえ現実に目を向けてみますと、どうにもならない事だらけである事もまた現実です。人間ですから、これは致し方ありません。そのためにどんな備えができるのか?これは全ての人に共通するテーマだと言えそうです。

 「判断能力が不十分」と口で言うのは簡単です。しかしながら、できる事、できない事は人それぞれです。人間の判断能力について「もう半分しかない」と見るか、「まだ半分もある」と見るかは、医師や裁判所や他の誰かが決める事ではありません。我が国は世界一の長寿国です。また「命」や「絆」が問われている昨今でもあります。将来誰の身にも起こりうる事象について、一人一人がまっすぐに向き合って考えていく必要があるように思います。

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