With A Little おせっかい 2014.12.11 青山修

 師走です。自分勝手な理由から何百億円もの税金を使って選挙を始める人もいます。皆さんお忙しいでしょうから、結論から書きます。

 今この国に足りないものといえば、『愛』と『勇気』、そしてほんの少しの『おせっかい』ではないでしょうか?もちろん根拠はありません。

 『おせっかい』という言葉は、大抵の場合ネガティブな使い方をされます。『気が利く』とは程遠く、『世話好き』にも大きく水をあけられています。もしもあなたが意中の人から「おせっかい(だ)よね」と言われたら、新しい恋を探した方がよいかもしれません。

 思い返してみますと、以前はおせっかいな人、結構いましたよね。頼んでもいないのに、よその家族の話に首を突っ込むような人、今この瞬間に隣家の誰が在宅しているか把握しているような人。こういった類いの人は、今の時代では盗聴犯もしくはストーカーに置き換わっているのかもしれません。

 一方最近では度々プライバシーが問題になる反面、こうした『おせっかいズム』が脈々と継承されていれば、助かったであろう命も少なくないように感じます。孤独死や過労死、自ら命を絶つケースはもとより、私達の身近でも同じ事が言えるのではないでしょうか。

 この国は、踏切事故で亡くなった認知症患者の遺族が鉄道会社から訴えられる国です。盲導犬が傷つけられる国です。マタニティマーク論争が起こる国です。都会の真ん中で孤独死した方が何ヶ月も発見されない国です。残念ながら、少なくとも美しい国には程遠いようです。

 私は仕事で高齢者や成年被後見人の方のお手伝いをしていますが、以前こんな事がありました。ある夏の暑い日、認知症の方が一人で外出してしまい、夕方になってようやく見つかりました。

 その方が発見された場所は、何と人通りの多い道端だったのです。何時間も灼熱の日差しに照らされた事で、額の皮がペロッと剥ける程でした。そんな状態で道端のブロック塀に寄りかかっている所を幸運にも警察に保護されたわけです。

 たしかに外見では普通に見えますし、不審に思う通行人も少なかったのかもしれません。しかし少しでも話せばすぐに気づくと思います。認知症の場合、自分の名前や住所さえ答えられない事が少なくないからです。親切な方が一言でも話し掛けてくれていたなら、あれほど日焼けする事はなかったと思います。

 皆さんも、街中で、道端で、踏切で、一人ぼっちの高齢者を見かける事があったら、どうか一声掛けてみてください。                                
「大丈夫ですか?」
「よろしければ、お手伝いしましょうか?」
「どちらに行かれるのですか?」
「お近くにお住まいですか?」
ほんの一言でいいんです。

「大臣、ご存知だと思いますが、かわうち原発ではありませんので」
「議員、お祭りで団扇を配るのはマズくないですか?」
そんな一言で今回の選挙が避けられたかは分かりませんが、ほんの一言でいいんです。

 あなたのほんの少しのおせっかいが、誰かの命を救うかもしれません。誰かのほんの少しのおせっかいが、あなたやあなたの大切な人の命を救ってくれるかもしれません。ほんの少しのおせっかいで、空は飛べないにしても、この国の未来は少しずつ変わっていくのだと思います。 

最後になりましたが、皆さん、必ず選挙に行きましょう。

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子供を守る社会へ 2013.12.7 青山修

    今週、いわゆる婚外子の法定相続分を婚内子の2分の1としている規定を削除する改正案が参議院本会議において全会一致で可決されました。※削除される該当箇所については、文末の参考条文の赤字部分を参照ください。

 婚外子とは、法律上の婚姻関係にない男女の間に生まれた子の事で、発音しにくい言葉では非嫡出子(ひちゃくしゅつし)と言います。誤解されている方も少なくないようですが、婚外子とは少なくとも認知はされている子です。認知されていない子には相続権自体ありませんので、今回の改正と直接の関係はありません。

 私は行政書士という仕事柄、相続に関するご相談を受けます。ご依頼を頂いて、いざ古い戸籍を調べてみたら、認知された子が見つかったというケースは少なくありません。ですから、特に相続問題の渦中にある方々に様々な思いがある事は十分承知しているつもりです。しかし法律としては、ようやく本来あるべき姿になったと思いますし、これまで長きにわたり法律上差別的な取扱いがされてきた事に合理的な理由はないと考えています。

 出生における親の事情に関して、子供には何の責任もありません。自らどうする事もできない事情によって、法律上差別される事など許されるべきではありません(でした)。

 また法律では、婚外子であるか婚内子であるかを問わず、子には親を扶養する義務が課されています。婚外子にも親の扶養義務はあるにも拘わらず、法定相続分は婚内子の半分とされてきたのです。この点だけをみても、明らかに不平等なルールであったことが分かりますね。※扶養義務に関する民法第877条については文末を参照ください。

 しかしながら、今回の改正は中途半端なものと言わざるを得ません。今回の改正では、出生届を出す際に『婚外子か否か』の記載を義務づけた規定を削除する戸籍法の改正が見送られてしまったからです。法定相続分に関する取扱いは平等となったものの、出生届を出す際に、『婚外子という烙印を押す』差別的取扱いは依然として残ったままなのです。

 法務省のHPに出生届の記載例が掲載されていますので、皆さんも是非ご覧になってお考え頂きたいと思います。※『子の氏名』欄の右横に『父母との続き柄』という欄があります。http://www.moj.go.jp/content/000011715.pdf 

 このように大人達が決めた残念なルールを別にしても、子供達は多かれ少なかれ様々な不平等に対峙して生きていかねばなりません。そして否応なしに厳しい競争に晒されます。もちろん自分の志や努力で克服できる事は、精一杯自らの力を尽くすべきでしょうが、生まれ落ちたと同時に、わざわざ国が『婚外子』という不合理な烙印を押す必要がどこにあるというのでしょうか?

 子供達を取り巻く環境は大きく変化しているようです。昭和40年代生まれの私のように、来る日も来る日も日が暮れるまで外で遊び、帰宅時間が遅くなった言い訳を考える事くらいが悩みだったような時代とは状況は異なります。

 今の子供達は、最早犯罪の域に達しているいじめ、複雑化する人間関係、将来への不安、氾濫する情報等の影響もあり、従前の時代と比べても遥かに制御不能な環境下に置かれているように感じます。明るい未来を担う子供達の為に、大人である私達が精一杯知恵を絞り、議論を尽くして子供達を守る社会を作っていきたいですね。

【参考条文】

(法定相続分)
民法第900条 同順位の相続人が数人あるときは、その相続分は、次の各号の定めるところによる。
1 子及び配偶者が相続人であるときは、子の相続分及び配偶者の相続分は、各2分の1とする。
2 配偶者及び直系尊属が相続人であるときは、配偶者の相続分は、3分の2とし、直系尊属の相続分は、3分の1とする。
3 配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは、配偶者の相続分は、4分の3とし、兄弟姉妹の相続分は、4分の1とする。
4 子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする。ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の2分の1とし、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の2分の1とする。

(扶養義務者)
民法第877条 直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。

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日本は危険な国? 2012.9.7 青山修

 世の中には定説と呼ばれるものがあります。言うまでもありませんが、ミイラが生きているか否かの話ではありません。個人的にすぐ思いつくのは、『刑事コロンボに駄作なし』、『妻とキッチンは明るいほうがいい』などでしょうか。『牛乳は噛んで飲むほうがいい』というのもよく言われます。しかしながら牛乳を飲むとすぐお腹をこわすという方も少なくありません。もっともストッパなら噛まなくても飲めますが。

 ここ最近『遺言書を作りたい」というお客様が増えています。昨年の大震災以降の一つの傾向かもしれません。つい先日も『最近は変な事件が多いし、物騒な世の中だから、早めに遺言を作っておきたい』というお客様からのご依頼に接しました。

 たしかに最近は、通行中に肩が当たっただけでナイフで刺された、電車内で携帯電話の通話を注意したら逆に殴られたといったトラブルを見聞きする機会が多いように思います。果たして、日本は危険な国なのでしょうか?安全神話は遠い過去の記憶なのでしょうか?皆さんはどのようにお感じですか?

 先日発表された治安に関する世論調査によりますと、日本は安全な国としながらも、『最近治安が悪化している』と感じている方が8割を超えています。→内閣府『治安に関する特別世論調査(平成24年8月)http://www8.cao.go.jp/survey/tokubetu/h24/h24-chian.pdf
 
 一方、犯罪の現状を纏めた『犯罪白書』を見てみますと、実態は私達の感覚とは異なるようです。統計上では、犯罪は増えるどころか減少傾向にあり、『三丁目の夕日』や『梅ちゃん先生』のような古き良き時代と比べても、殺人等の凶悪犯罪が格段に増えているわけでも、そこらじゅうで子供が誘拐されているわけでもないのです。→法務省『犯罪白書(平成23年版)http://www.moj.go.jp/housouken/housouken03_00056.html

 一体これはどういう事なのでしょうか?犯罪自体は減っているにも関わらず、何故我々は治安が悪化していると感じているのでしょうか?テレビのニュースやワイドショーで凶悪犯罪が繰り返しセンセーショナルに取り上げられる事が影響しているのかもしれません。

 そもそも世論調査というものは、やり方によって結果はどうにでもなりそうですから、少々穿った見方ができなくもありません。例えば、国民が『治安が悪くなっている』と感じているほうが得する人でもいるのかとさえ思えてきます。もちろん実際の所はよく分かりませんが、一考の余地はありそうですね。

 最後にもう一つだけよろしいでしょうか。よくよく考えてみると、『刑事コロンボ』シリーズの中にも、傑作とは言えない作品が何本かあるような気もします。どれとは言いませんが。こんな風にダラダラと書いている間に、そろそろうちのカミさんを駅まで迎えに行く時間となりましたので、この辺で失礼させて頂きます。最近は物騒な事件が多いですから。

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これからの「政治」の話をしよう 2012.3.9 青山修

まもなく3月11日が訪れようとしています。1年です。この1年が長かったのか、短かったのか、どちらでもなかったのか、感じ方は人それぞれでしょう。

思い起こしてみますと、この国にずっと以前から蔓延し続けてきた諸問題が、更にはっきりと露呈した1年であったように思います。統治能力が欠けた政府、縦割りかつ横並びの役所、既得権益に埋もれるマスコミ、見えない空気に流される大衆など。これらは何も新しい問題ではありません。これまでもずっと我々の生活と共にありました。

少し言い方を変えると、これだけの大災害と大事故を経験し、『失われた命』と『失われそうな命』という計り知れない代償をもってしても、この国の仕組みを変える事はできそうにないという現実が明らかになった1年と言えるのではないでしょうか。とても残念な話ですが、嘆いてばかりでは芸がありませんので、何かうまい手を考えるしかありません。

唐突ですが、結論から言いますと、『みんなで政治の話をしようじゃないか』という事です。民主主義国家ですから、本来当たり前の事ですし、今更言うまでもありませんが、『みんなで政治の話をしよう』という事です。

何でも政治家任せにするのではなく、ただただ官僚を非難するのでもなく、『政治の話をしよう』という事です。文句ばかり言うのではなく、決してあきらめるのでもなく、しっかり自分の考えを持って、『政治の話をしよう』という事です。

家庭で、職場で、街角で、家族と、友人と、知り合ったばかりの人と、みんなで『政治の話をしよう』という事です。行列のできるお店に並ぶのはまた今後にして、携帯電話で料理の写真を撮るのも少しだけ後にして、『政治の話をしよう』という事です。

毎日決まった新聞やテレビのニュースを眺めるのではなく、少し手間を掛けて様々なメディアから情報を集め、自分の頭で考えて、『政治の話をしよう』という事です。志の高い政治家、有能な官僚、卓越した学者、自分の足で取材を行う本物のジャーナリスト達の話に耳を傾け、『政治の話をしよう』という事です。

政治主導でもなく、官僚主導でもなく、国民主導を実現するために、『政治の話をしよう』という事です。本当に子供達の事を思うなら、一緒に楽しく過ごす前に、習い事や塾に行かせる前に、『政治の話をしよう』という事です。

明日のために、そして大切な子供達の未来のために。

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コップの水  2011.10.27 青山修

 今回は「成年後見(せいねんこうけん)」についてお話します。成年後見制度とは、認知症、知的障害、精神障害などによって物事を判断する能力が十分でない方を法律的に支援する制度です。家庭裁判所によって選任された後見人等がご本人の財産を管理したり、悪徳商法から守ったり等、ご本人の意思決定をサポートします。実際に後見人になるのは親族が多い(約7割)ようですが、近年は法律の専門家が選任されるケースも増えています。

 成年後見制度を利用する事により、ご本人は色々な面で保護されることにはなりますが、その反面「選挙権が奪われる」「会社の取締役になれない」等の不利益を被る面もあります。普通に考えて「お金を管理する能力」と「選挙で投票する能力」とは全く別次元のものかと思いますが、公職選挙法によって選挙権は否定されているのが現実です。これについては「憲法に反する」との訴訟が後を絶たないようです

 我が国では2000年にスタートした成年後見制度ですが、成年後見先進国のドイツと比べますと様々な面において発展途上と言えます。
(成年後見制度の利用件数)
・ドイツ:約250万人(人口8200万人)
・日 本:約    21万人(人口1億2000万人)
 このように人口と比べた利用件数を見るだけでも、この制度が浸透しているとは言えません。全国で要介護認定者は約500万人といいますから、実際は成年後見制度を利用したほうが良いと考えられる方々の多くがこの制度を利用していないというのが現状です。それに最近では、肝心の制度の中身よりもトラブルばかりが話題となっているようです。http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111104/crm11110421110014-n1.htm

 また制度理念の実現も十分ではありません。基本理念として『自己決定の尊重』『残存能力の活用』『ノーマライゼーション』が挙げられます。この理念に基づくならば「判断能力が低下したのだから、あとは何でも後見人が代わりに行います」とはならないはずです。たとえ判断能力が衰えたとしても、周囲の環境を整え、残存能力の活用を支援することにより、可能な限り健常者と同じ社会生活を営めるように支援すべきです。ご本人の「権利を奪う」のではなく、あくまで「意思決定をサポートする」のがこの制度の理念なのです。

 判断能力が低下した方々の諸問題は、従来親族内の問題でした。中には「身内の恥だ」というような思いもあったのかもしれません。しかし、核家族化、少子化、高齢者の独り暮らし世帯の増加等の社会構造の変化、また、孤独死、高齢者を狙った詐欺等の深刻な問題も山積しており、今や社会全体の問題となりつつあります。最早、ご本人とご親族だけで対応できる範囲を超えており、地域、行政、司法、民間など社会全体でサポートする仕組みが不可欠と言えるでしょう。

 人間は誰しも年を重ねます。人生の最終章において、身体や心が不自由な状態で、また病床において長期間を過ごしたいと願う人はいないでしょう。「ぴんぴんころりといきたい」「家族に面倒は掛けたくない」とは誰もが思う事なのです。とはいえ現実に目を向けてみますと、どうにもならない事だらけである事もまた現実です。人間ですから、これは致し方ありません。そのためにどんな備えができるのか?これは全ての人に共通するテーマだと言えそうです。

 「判断能力が不十分」と口で言うのは簡単です。しかしながら、できる事、できない事は人それぞれです。人間の判断能力について「もう半分しかない」と見るか、「まだ半分もある」と見るかは、医師や裁判所や他の誰かが決める事ではありません。我が国は世界一の長寿国です。また「命」や「絆」が問われている昨今でもあります。将来誰の身にも起こりうる事象について、一人一人がまっすぐに向き合って考えていく必要があるように思います。

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涙くんさよなら 2011.8.12 青山修

 3月11日から5カ月が過ぎました。今なお8万7000もの方々が避難生活を強いられています。仮設住宅への入居、がれきの処理、放射性物質の除去にしても、もう少し何とかならないものでしょうか。「先進国」「技術大国」「経済大国」等の輝かしい称号も大して役には立たないようです。

 窮地に立たされた時にこそ本当の力量が問われると言います。私などは、台所で「これ炒めて!」「塩コショウして!」「別の鍋にお湯沸かして!」「フライパンは中火!」などと妻から畳み掛けられると、大体3つ目くらいからパニックです。

 そんな中、巷では相も変わらず奇妙なニュースが溢れています。いつ辞めるのか、次は誰だ、やれ子供手当だ、児童手当だ、所得制限だ、などなど。挙げればキリがありません。被災地は完全に置き去りです。これで暴動が起こらない国もそんなに多くはないように思います。「おしんの国」は「紳士の国」よりも我慢強い人で溢れています。

 被災地には一瞬にして人生の宝物を失った方々が大勢おられます。愛する家族、終の棲家になるはずだった自宅、一生を捧げてきた仕事、かけがえのない故郷を奪われ、涙も枯れ果てたという方々が大勢おられます。にもかかわらず、カメラの前で涙する政治家を観ました。

 よほど仕事が辛いのか、上司とうまくいっていないのか知りませんが、本当に残念な気持ちになりました。仕事も家もあるだけ幸せだと思います。さらに、あれがパフォーマンスだったというのなら、尚更残念です。すぐにでも新しい秘書を雇うべきでしょう。

 政治家という仕事とは、国民の命や生活を大きく左右する重大な決断を迫られる仕事です。どの新薬の認可を行うのか、どの病気治療の研究開発に資金援助を行うのか、時には救える命と救えない命の線引きをしなければならない、そういう仕事だと思います。

 原子力発電に関する問題でも同様です。発電所の再稼働を進めれば周辺住民の命を危険に曝すかもしれない事は今回の事故で明らかになりました。しかしながら一方で、脱原発の方向に舵を切るならば、原発に携わる人々の生活や仕事に大きな影響を及ぼす事になります。そもそも政治家とはそういう仕事です。

 特に原発を取り巻く状況は、全てが待ったなしです。最早、唯一の被爆国であるだけでなく、世界最大の海洋汚染の加害国となってしまった我が国の動向には世界中が注目しています。政治家に泣いてる時間などないはずです。

 いま彼がすべき事は、涙の言い訳を考える事でも、代表選出馬の検討でもないはずです。もちろん自分の手の平に「忍」と書くなど論外です。どうしても書きたいというのなら、「被災地」もしくは「命」と書いてはいかがでしょうか。それでも効果がない時は、「泣くな」と書くしかありません。

 26年前の今日、「御巣鷹の尾根」で亡くなった坂本九さんは、『この世は悲しいことだらけ、君(涙)なしではとても生きて行けそうもない』と唄いました。災難というものは、何処にいても誰の身にも起こりうるものです。どんなに暑い日でも、どんなに辛い日でも、今日一日を精一杯。

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オトコノコ、オンナノコⅡ  2011.5.24 青山修

 以前ペットに関するブログを書いたところ、意外に反響があったので、少しだけ調子に乗って、パート2を書いてみようと思います。とはいえ、「ロッキー」や「ランボー」の二の舞にならないよう気を付けたいとは思っています。

 ペットに纏わる行政書士の仕事は、かなり多岐にわたります。ペットショップ等の動物取扱業の登録申請がメインでしょうか。他にも、ペットホテル、ペット幼稚園、ペット美容院(トリマー)、ペット霊園など業種は様々です。また、ペット墓地の開発行為許可、各種契約関係、近隣トラブルにおける示談書や合意書の作成、ペット可へのマンション規約の変更なども守備範囲となります。 

 そんな中、近々「動物愛護管理法」の改正が予定されています。改正のメインは「動物取扱業の適正化」です。要するに、不幸な動物を生まないためにも入口から規制を厳しくするというわけです。あらたにペットショップを開業しようという方にとっては、少々敷居が高くなることから、エイドリアンの勤め先が確保できなくなるかもしれません。

 他にも、深夜販売の禁止、販売時間の制限、インターネット販売の禁止等が検討されています。夜中の3時にどうしてもペットを買いたい(売りたい)という方々は規制に反対かもしれませんが、さすがに動物達も眠いでしょうし、長時間にわたって可愛いポーズをとり続けるのも大変なストレスでしょうから、これも何とかしてあげたいものです。

 また「幼齢動物の販売日齢制限」という動きもあります。ワンちゃんの場合、生後30~40日くらいの幼齢犬が可愛くてよく売れ、販売価格も高い事から、業者サイドとしては早く高く売りたがるわけです。たしかにナタリー・ポートマンのように大きくなっても可愛いという例は稀なのかもしれません。

 これは動物に限った事でもないでしょうが、生後あまり早くに親から引き離すと、健全な成長の妨げとなることがあるようです。また幼齢犬は成犬に比べてフンの始末なども大変で、結局はオーナーの手に余り、捨てられるケースも少なくありません。こうした規制はペット先進国の国々においては常識のようであり、高く売りたがる販売業界と今後どう折り合いをつけていくか、環境省の担当者の方に大いに期待したいと思います。

 法改正に向けての検討事項の中で、個人的に最も興味を惹かれるのは、「犬猫のマイクロチップの義務化」です。簡単な手術によって、ペットの体内に「マイクロチップ」を埋め込む事を義務化しようというわけです。これにより所有者を特定する事ができ、捨て犬猫の防止に繋がる等のメリットがあるそうです。また今回の大震災においては、離れ離れになったペットとの再会にマイクロチップが役立っているようです。
(環境省HP)http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/pamph/chip.html

 これは私だけかもしれませんが、「マイクロチップ」と聞くと、宇宙人に遭遇した地球人が眩しい光の中で無理矢理体に埋め込まれるイメージがあり、どこか怖い気もします。チップ挿入による動物達への悪影響はないと聞きますし、おそらくメリットの方が多いのでしょうが、全く抵抗感がないと言えばやはり嘘になります。

 この一線を超えてしまうと、将来的にはGPS機能も装備され、我が子を心配するあまり、人間の子供にチップを挿入しようとする親が出てきたりするのではないかと余計な事まで心配になったりもします。夫の浮気を心配するあまり、寝ている夫の体内にマイクロチップを埋め込んた妻の仰天ニュースくらいなら、笑えなくもないのですが。

 さて、そろそろお別れの時間です。そもそもパート2というものは、所詮二番煎じに過ぎないのかもしれません。あくまで個人的な見解ではありますが、映画の世界でも本当に素晴らしかったと言えるのは「ゴッドファーザーPARTⅡ」くらいではないでしょうか。そういえばエイドリアンは「ロッキー」にも「ゴッドファーザー」にも出演していますね。それでは、アリヴェデルチ。

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「思い」を伝えるにはⅡ 2011.5.11 青山修

 3月11日以降、新たにTwitterやFacebookを始めたり、ニコニコ動画やUSTREAM(ユーストリーム)等のインターネットメディアを利用する人が増えているそうです。少々大袈裟かもしれませんが、こうした動きは、自分や家族の命を守るために正確な情報を入手したいという人々の思いの表れではないでしょうか。「信頼できる情報は自分で集める」という方が徐々に増えつつあるのだと思います。

 被災地における状況というのは、場所により本当にまちまちで、また刻一刻と変化しているのだそうです。通りの一本向こうではテレビが見れるのに、こっちでは電気も水道もダメだとか。ラジオのローカル局が唯一の情報源である街があるかと思えば、知らない誰かのつぶやきで飲料水や給油にありつけた家族がいたりというように。

 確かに平時なら、新聞とテレビのニュースでも見ていれば、仲間外れにされる事もないでしょうし、直ちに健康に影響が出るレベルではないのかもしれません。ところが、「大地震×大津波×原発事故」という人類の歴史において誰も経験した事のない極限の状況下では、情報の速さ、正確さが生死を分けるといっても過言ではありません。

「信頼できる情報は自分で集める」 こういった姿勢は、今後この国を大きく変えていくのだと思います。

 一方、YOUTUBEやUSTREAM等のインターネットメディアを通じて、自らの熱い思いを世の中に伝えようとする方々が注目を集めています。
・福島県南相馬市の桜井勝延市長http://www.youtube.com/watch?v=70ZHQ–cK40&feature=related
・岩手県「南部美人」5代目蔵元の久慈浩介さんhttp://www.youtube.com/watch?v=UY0FtSqrMBc
・妻が大好きなミュージシャンの斉藤和義さんhttp://www.youtube.com/watch?v=b01yohRgfyc
・ソフトバンク株式会社の孫正義社長http://www.ustream.tv/recorded/14195781
・城南信用金庫の吉原毅理事長http://www.youtube.com/watch?v=CeUoVA1Cn-A
・衆議院議員の河野太郎さんhttp://www.youtube.com/watch?v=w7iqqBfaHVA

 米国タイム誌により、2011年「世界で最も影響力ある100人」にも選出された福島県南相馬市の桜井勝延市長は、震災直後から世界に向けて惨状を訴え続けています。彼を突き動かしているのは「何としても市民を守りたい」という切実な思いと使命感です。そして市民にも語り掛けています、あたかも自分の家族に語りかけるように。

 こうした方々に共通しているのは、自分の言葉で話して(唄って)いる印象を強く受けるということです。そうしたメッセージは受け手の心に響くのだと思います。本来これは当たり前の事のはずですが、どうも最近は、演説にせよ、謝罪にせよ、他人が書いた原稿を読んでいるだけの人ばかり見かけるせいか、余計にそう感じるのかもしれません。

 最後に旬の小話など如何でしょうか。「自分が話す事くらい自分で考えなさい。自分で考えられないなら原稿くらいは覚えなさい。覚えることもできないならキュウリでもかじっていなさい。」 

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★5/3(祝)「がんばれ!!福島応援フェア」開催のお知らせ★

 5月3日火曜日(祝日) 午前11時より(売り切れまで)、自由ヶ丘1丁目睦坂下にて、【あおぞら市 がんばれ!!福島応援フェア が開催されます。               

 当日は、福島県のJA東西しらかわ様より安全安心な農作物を皆様にお届けいたします。よろしければ是非是非お越しください。
 →http://www.jiyugaoka.or.jp/event/2011/mutsumi2011.pdf

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明日のために その1 2011.4.1 青山修

 この度の東日本大震災により尊い命を失われた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、愛するご家族を亡くされた方々に心からお悔やみ申し上げるとともに、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。そして、被災地において命を顧みず救援・復旧にあたられている方々に敬意を表します。

 3月11日以来、幾度となくこのブログで何か書こうと考え、思いを巡らせてきました。しかしながら、なかなか筆が進みませんでした。現在進行形のあまりにも壮絶な現実を目の当たりにすると、何を書いても安っぽく薄っぺらに感じられたからです。

 これまでテレビやインターネットを通じて、数々の人々を目撃しました。泣き崩れる人、茫然とする人、心配する人、探す人、列に並ぶ人、買い込む人、遠くへ行く人、被災地へ向かう人、便乗する人、声を上げる人、立ち上がる人、身を潜める人、涙する人、涙も枯れ果てた人。

 津波や被災地の映像は繰り返し流され、被災地から離れた我々の心の奥底にも鮮烈に焼き付いています。溢れる情報や迷走する政府に惑わされ、日々の生活を営む中でも以前とは異なる数々の判断を迫られます。そこには、我々一人一人の「心の声」とは別のところで「見えない力」が作用するというのもまた現実のようです。

 東京都の目黒区美術館にて、4月9日(土)より開催が予定されていた展示会『原爆を視る1945-1970』が中止となりました。「大震災の惨状や原発事故による深刻な影響を受けている多くの方々の心情等に配慮した」というのが中止の理由だそうです。
(目黒区美術館:http://mmat.jp/exhibition/archives/ex110409-2
 
 正直なところ、私は驚きました。美術館に対して、開催に反対の意見が寄せられたわけでもないようです。この中止の判断にどのような事情があったのかは分かりません。主催者側にも苦渋の決断があったのかもしれません。そうであるにせよ、やはり「?」が拭いきれないのも事実でしょう。

 この展示会は、広島と長崎の原爆資料館や被爆者団体等の協力のもと、原爆投下とその影響を、美術家、写真家、漫画家などのアーティストがどのように表現し、またどのように受け止められてきたのかを検証しようという、とても意義のあるもの(になるはず)であったので、非常に残念に思います。

 こういう時期だからこそ、過去の歴史、今そこにある危機と現実にしっかり向き合いつつ、我々が進むべき道について真剣に考える必要があるのだと思います。もう現実から目を背けたり、事実に蓋をしている場合ではないでしょう。我々に残された時間はさほど多くはないのかもしれません。

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